深夜という亜空間<静寂と星>

    私も大学生なものだから、深夜に帰宅することなんてざらにある。そういう時に、いつもの道が昼間とは違うという感覚を初めて感じたのは、初めて終電で帰宅した時だ。ほぼ存在しないに等しい信号ルール、喋り声のない暗がり、たまに見える星。全てが「静寂」ベクトルに向かっている感じがする。

    僕は、植物で言うなら生い茂った緑色も好きなのだが、枯れかけの茶色の方が好きだ。寧ろ後者の方が生気を感じる。大人になったのか老人化したのか、最近喧騒よりも静寂を少しばかり好むようになった。

    昼間には昼間の良さがある。太陽光が自然に、有機物に生気を与え、生き物達が鳴いたり動いたりしながら時が動いているのを感じる。光があるため、自分の身の回りで何が起きているかを把握しやすく、安心感という言葉も似合いそうだ。

    対して夜はどうだろう。恐らく全世界において、夜という空間は昼とは全く異なる世界になっているはずだ。泥酔して倒れ込む人間とそれを介護する人間だったり、場所によっては星々が輝きを見せて星座という構造物を成したり、車通りが極端に少なくなり細い道を歩けば静寂に包まれたりなどするわけだ。この異世界、別な言い方をすれば時が止まったような世界がたまらなく好きである。

 

    それを強く感じることが出来る場所が、深夜の公園だ。誰も使っていない動く気配のない遊具やベンチ、そのまわりに少しばかり生えており小さく吹く風に揺られる植物、僕はそういうところにそのものの真実みたいなものを感じる。ものがものとして存在する感じ、そういう佇まい。上手く表現できないが、誰もいない公園はまるで公園の本質のように感じられ、そこに淀むオーラのようなものが、僕を引き寄せる。

    記念にスマホではあるが写真を撮ってみた。客観的に見た時にその佇まいが若干失われるかもしれない。



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    最近写真を撮るのにもハマっているので、今後ともこういう写真集みたいな記事は書いていきたい。

    今回深夜に写真を撮って思ったことは、周りに光源があるため思ったよりものがしっかり写っていること。また、深夜でも咲き誇っている花たちの美しさにも気づけた。昼間は主役になりえない彼らが夜中に影の主役的ポジションを凛と持っている印象。

    そういった意味で時間を忘れられる空間、それが僕の中での「深夜」という美学だ。