「エルザの大聖堂への行進」が練習曲として有効な理由

    弊団では基礎合奏のメニューとして「エルザの大聖堂への行進(以下エルザ)」を毎回やっている。ゆったりとしたコラールは割と色々なところで練習曲として演奏されている。では、なぜゆったりとしたコラールが練習曲に選ばれているのか、それは全ての基礎が詰まっているからである。

    高校生の頃にはコラールの練習はやっていたもののその意味があまり理解出来ておらず、あまり効果的な練習になっていなかった。というわけで、今回は今だからこそ分かったコラールでの練習の意味とより効果的にするための意識を自分なりにまとめてみる。

 

1. 「全ての基礎」の箱の中身

    と言われても、僕は「全ての基礎」についてわかりきっていないのも現状だ。コラールをやることによって試される「基礎」とはなんなのか、少しずつ細分化してみる。

1.1. 音のコントロール

    練習に使われるようなコラールは基本的にはどのパートも指的、音域的な難易度を要しない。そのため、その楽器が綺麗に出せるべき音域を提示してくれている曲、というふうな見方もできる。特に伴奏だったら顕著なのだが、伴奏での伸ばしの音をpで出し、その音量をキープする、という技術は楽器を1年経験しても身につかないことが多い上に重要な課題である。

    コラールの役割のひとつとして、出したい音を出したい音量で出したい音色で出せるようになることがあると思う。個人レベルの話ではあるが、ゆったりとしたテンポで音域的な余裕がある中でのそういうことを意識した練習は、個人レベルの音のコントロール力を試すのに丁度いいし、忙しくなく吹きながらでも客観視しやすいため、自分の課題が見つかりやすいという利点もあるだろう。

 

1.2. アンサンブル力の向上

    コラールは打楽器がリズムを刻んでいる曲、極端にいえば打楽器がテンポである曲ではない。そのため、テンポ感を自分たちで感じなければならない。当たり前の話だが、これができていない人は非常に多い。特に重要なのが、メロディーがどう吹きたいかを主張し、それに伴奏が答えを見つけていくということを繰り返す、例えるなら議論だ。メロディーが「私はこう思うんだけどどう思う?」と発信してそれに対し伴奏が「いいと思うからそれに合わせた基盤作るね」とか「もっとこうして欲しいな」というのを演奏で返事する。それを繰り返していくのが合奏であると僕は思っている。

    そのためには、メロディーラインの担当は「このメロディーってこういう感じだよね」という印象を持たないといけないしそれを相手が受信できる形で発信しなければならない。そして伴奏側はそれを既読無視してはいけない。音でのコミュニケーションをアンサンブルという形で量らなければならない。リズム感であれ、音量バランスであれ、音色であれ。

    コラールは吹くのに多少の余裕があるはず。アンサンブルする力、しようと思考する力はそういった余裕がある環境でやろうとする方がやりやすい。

 

    コラールが全ての基礎を試す場になっているのは、こういった思考の余裕が他の曲より多いからであろう。

 

2. 役割分担とその後の役者

    コラールのもうひとつの特徴に、自分の吹いている音が今メロディーなのか、対旋律なのか、伴奏なのかがはっきりしている点がある(因みにこれはマーチにも言える。課題曲に必ずマーチが存在するのはこのためだろう)。全てが他の曲でも主要な役割であり、コラールだとそれが顕著に見える。そのため、歌いこみを全うできるできるのだ。

    例えばメロディーを吹いているとしたらどこにフレーズの山を作りどこでどういった感情を持たせて人の心を動かすか、対旋律ならばメロディーとどういう掛け合いをしていてどこにメロディーの、どこに対旋律の聞かせどころがあるか、伴奏ならばメロディーラインがどこに頂点を持っていっており、その誇張をどれほど行えば良いか、ということを考えると良いかもしれない。それぞれが違う役割を持ってしてひとつの劇(音楽)が完成するのだ。

 

3. 総括

    コラールについて思うことはこれくらいだ。何度も言う通り、コラールには技術的な(人によっては体力的にも)余裕がある。それにより自分が音楽をすることに集中しやすくなる。その余裕を持った中で何をするか、基礎合奏の括りの中にいるコラールをどう扱うか、当然人次第であるため、是非今一度考えてみて欲しい。