吹奏楽コンクールの善し悪し

    やはりこれに関しては1度思考をまとめておきたい。全日本吹奏楽コンクールについてだ。部活・サークルをやっている間はずっと出続けてきたコンクール。9回出場した結果は金賞2回(うち代表1回金)、銀賞7回とまぁ一般的な経験のうちに入るだろう。

    よくメディアでは「感動を産んだ」「2000何校の頂点」などテンションをあげるような言葉が描かれている。当然だ。そうでも無い限り盛り上がらない。ではコンクール自体ははてそういうものだろうか。システム上公平で、音楽の本質を射ているだろうか。銀賞、ダメ金で悔し涙を流し、代表に選ばれた喜びを分かち合う的な人間性をこのシステム上で正として受け止めるべきか。などを綴って行ければ。

 

    今回触れたいコンクールの制度をまとめておく。コンクールには大きくわけて大編成と小編成に分かれる(中高では特に大編成がA編成、小編成が人数規定によりB編成とC編成と分かれて呼ばれることが多い)。演奏項目は、大編成が指定された課題曲と自由曲1曲ずつ、小編成は自由曲1曲を指定時間内に収まるよ演奏する。それらの演奏を審査員がジャッジして、半数以上がA帯の評価をつけると金賞、半数以上がC帯の評価をつけると銅賞、それ以外は銀賞となる。全国大会以外では、金賞の中の上位n団体が代表として選ばれ、次の段階へ進むことが出来る。

 

    まずは人数規定について話をしよう。北海道の場合人数規定がないのは小学生の部のみで、あとは何かしらの制限が設けられている。北海道の高校と中学校を例に出してみる。高校の場合、A編成が55人以下、B編成が35人以下、C編成が25人以下という制限がある。中学校の場合はA編成は50人以下、それ以外は高校と同じだ。この中学と高校の間に生まれる5人の差はなんだ。中学校も55人以下にすればいいものを、なんの差をつけた。さらにこれが大学、職場・一般になると65人以下となる。この差はなんだ。団体の平均でも調べて割り出したのか、不思議な数字だ。しかも、B編成とC編成には全国大会が存在せず、代わりに東日本大会という大会になるのだが、BとCの差はなくなり同じ小編成として扱うようになり、規定人数も30人となる。何故だ、ならどうしてBとCを35,25にした。B編成は東日本に駒を進めてもそこから5人減らして挑まなくてはならない。なぜそうしたんだ。ここで辻褄を合わせていないのは本当にどうなんだろうと思っている。それは公平なのかと。

 

    次は演奏内容と審査についてだ。大編成だと課題曲と自由曲が1曲ずつ。小編成だと自由曲だけ。どちらにしろ自由曲の演奏時間は6~7分程度になる。自由曲として選ぶ曲で6~7分に収まるような曲を僕はあまり知らない。トゥーランドットで11分復興も9分、ローマの祭りで25分、ルイブルで12分、宇宙の音楽は18分だしラッキードラゴンも9分を超える。すなわちほとんどの曲にコンクール専用のカットが必要だということである。僕はこれがなんだかもったいない気がする。コンクールのためだけに曲をいじるというのがなんとなく腑に落ちない。フルでやることの価値観がデカすぎるのかもしれないが、コンクールという制度上仕方ないのか、と言わざるを得ない。加えて審査基準だが、これには明確な採点基準みたいなものは存在しない。課題曲はまだしも、自由曲に関しては各々の団体が時間に収まるように自由に用意してくるものだから、採点基準もくそもない。すなわち最終的な判断が審査員の好みになるかもしれないということだ。さらに審査員はコンクールの期間ほとんどずっと審査員としてホールの中央付近に座っている。同じような演奏を何度も聞かされる。どれだけ疲れることか知ったことではないが、相当なものだろう。数団体の採点が適当になってもおかしくはない。その数団体にはおそらく全国大会常連は選ばれないんだろうなーと思うと悲しくなる。とかく、審査員の状態が一定ではないしホールの状態も一定ではない。ホールの状態は割と仕方ないとはいえ、疲弊した審査員の元で採点されるのとそうでないのとでは明らかに精度に差があるし、好み依存になりやすいのでは無いだろうか。

    採点基準が曖昧なくせに金銀銅の基準は決めてしまったせいで採点基準の曖昧さが顕著になっている気もする(決められたものでは無いが)。中にはコンクール専用の粗探しマシーンみたいな点数の付け方をする人もいれば、音楽性をかなり重視して採点する人もいる。その人数比が「好み」という形で現れる最終形態かもしれない。

 

    とんでもないまとめ方をすると、音楽の存在は人の感情と排反な訳ではなく必ず何かに依存する。例えば眠い時にハイテンポなロックを聴くと気分がなんか盛り上がってくるかもしれないし、落ち着かない時にゆったりしたエルザのような曲を聞けば自然と落ち着くかもしれない。逆に落ち着かない時にロックを聞いてみればどうだろう、より緊張が高まるかもしれない。また、同じ曲を部外者と仲間が聞くのとでは価値観が相当割れる。そんな多少の依存性が存在する「音楽」で順位をつけること、果たして意味があるのだろうか?「銀賞でも感動させてくれた」そういう虚無的な感情が本当は1番コンクール存命に影響しているのだが、おわかりかな?僕はもっと色んな団体に「コンクールに出場しない権利」をいい方向で使って欲しいなと思う。コンクールありきの音楽部活はそれは音楽ではなく部活に過ぎない。

 

     部活を通して「仲間と共に協力することの大切さ」みたいなのを「音楽って最高だよね」っていう感性の側から訴えかける方面からでもいいのではないか。別にコンクールというストイックな運ゲーを絡めなくとも。と思っては揮発する毎日。人生だ全く。