オレンジ色の、水色の、そして濃い緑色のユーフォの音
僕は、大学に入ってからユーフォニアムという楽器を吹き、練習し始めた。それまではチューバをやっていたのだが、高校生時代になかなかチューバの魅力を最大限感じることができず、ユーフォニアムに転移した。
ほぼ初心者で、立て続けに本番があったもんだから、早く上手くならなければ、という焦燥があった。それで、その時の先輩に色々聞いてみたり、インターネットで情報収集したりしていた。
先輩は、音色作りについて最初に教えてくれた。中高共にあまり気にしていなかった点で、当時は刺激的だった。
そのためにロングトーンをやり、そのためにリップスラーをやることをそのときに初めて知った。
そのせいか、僕は今でも音色に強いこだわりを持っている。
ずっとこだわってきたせいか、最近は音色が単純に色になることがある。あの音色は水色で、この音色はオレンジだ、など。
高校生までの僕はその次元に達することは一切なかった。だから感覚としてそこそこ不思議だ。音色がリアルの色になるとは。
実際、音色がよければそれっぽく聞こえるし、吹奏楽の中で周りに溶け込むこともできるし、加えてユーフォらしさを主張しても悪目立ちしづらくなるので、音色へのこだわりは利点しかない。
また、プロのユーフォニアミストの中でも音色感は非常に異なる。(スティーブン・ミード氏とアントニー・カイエ氏とでは、全く異なる音色である)
色が見えた瞬間に楽器の本性、そして奏者の感性が見えて面白い。だから僕は音色へのこだわりを捨てない。もちろん他の技術も大切だ。(音のインターヴァルとか、リップスラーの技術や、ダイナミクスの幅の強化など)ただ、音色は聴衆に与える印象を決め、審美眼が強く働く局面だ。その大切さ、緻密さは、楽器を扱う人間として強く意識したいものだ。
さて、あなたは何色が好きだろうか?そして、あなたは何色だろうか?
ゲーム音楽は何故いい音楽に聞こえるのか
僕は小さい頃からゲームに触れてきた。
兄がいて、母もちょっとゲームをやっていたので、ゲームには少し恵まれた環境だった。
物心がついた時にあったゲームといえば、ゲームボーイアドバイス「星のカービィ・夢の泉デラックス」PSの「パズルボブル2」「パックマンなんちゃらvol.4」「チョコボの不思議なダンジョン2」「ドラクエVII」など。
自分でもやってたし、やってるところを見ていた側でもあった中で、僕はゲームのBGMが「いい曲だな」と思う感性が既にあったらしい。
中でも、「星のカービィ・夢の泉デラックス」「チョコボの不思議なダンジョン2」は特にお気に入りだったし、今でも大好きだ。
PSあたりからリアリティが増してきたが、それまでの音楽は、いわゆる「電子音」とはっきりわかる(というより、現実の楽器には例えられない)ものが多かった。
この「電子音」はかなり特異な音色で、それがファミコンらしさ、ゲームらしさを特徴づけてたと言っても過言ではない。
本題に入ろう。ゲーム音楽の良さとはなにか。
1つ目は、先程言った「音色」だ。とても単調でいかにも「電子音」なのだが、それ故にオーケストラでは奏でられない独特な世界観を生み出している。
その特異性は、音楽としては覚えていなくとも、音として頭のどこかに残ってはいないだろうか?
2つ目は、過去の作品のアレンジが、解像度を高くして行われていることである。
シリーズとして長く残っている作品(「スーパーマリオ」シリーズや「星のカービィ」シリーズなど)は、過去に使われた曲がアレンジされて再登場することがよくある。
僕はこれもゲーム音楽の魅力のひとつだと思っている。速いテンポの曲がアレンジされてゆったりになると存外感動的になったり、スーファミ時代の曲をwii位の解像度で編曲されると、それまでになかったオーケストレーションで聞くことが出来て壮大さを感じざるを得ない。
この「電子音」と「楽器の音」を交互に行き来するのが結構刺激的で面白い。
個人的には、ゲームだと認識するのに必要なのは電子音だし、ゲームとリアルの解像度を近くするために仮想的な実音があるとも思っている。
ただ、やっぱり僕は、効果音のせいで処理しきれないくて一部の音が無くなる時代のゲームに愛着を感じる。リアリティが高すぎると、愛着ではなく壮大さを感じて終わりになる。そういう面では現代に即したゲーム作りをしているのかもしれない。
この考え方になったきっかけとして「シンフォニック・ゲーマーズ」の影響がある。ゲーム音楽だけでコンサートをやる、という趣旨で行われるコンサートの主催だ。
UNDERTALEというゲームのメドレーをやっていた時は、まさしく先程言った「電子音」と「楽器の音」の交差を直に感じられた瞬間だった。
それにしてもUNDERTALEの音楽は緊張と緩和に対する意識がかなり鋭い音楽だと感じる。それをファミコンチックに表現するのもまた一興。
小さな頃から築いた「BGM物語」は、終演することはなさそうだ。
普段考えていること(教育者編)
日本の教育を考えるとき、どうしても悲観的になりがちだ。それもそう、大体の書籍は「日本の教育を改めよ!」のような啓発書が多いからだ。
僕自身、色々と教育についての本を読んだりするし、それで色々思う面がある。
例えば、日本の教育を考える時に何を基準にするか。生徒視点の政策を打つか、先生の立場で考えるか、はたまた日本の将来を見据えるか。
今問題視されていることをあげるとするなら、教師の仕事のブラック化、ブラック部活、詰め込み型授業の見直しだろうか。(もっとあるだろうが、教育者ではないゆえ把握しきれない)
教師の仕事のブラック化については、色々な視点があるが、中々に深刻な問題だと思っている。
なぜなら、技術をもってすれば解決するようなことばかりだからだ。
教師のブラック化問題は、単純にタスクが多いことに理由がある。
タスクというくらいだから、僕は人工知能が解決してくれると思っているのだが違うのだろうか。
名簿の作成とかテストの採点とか、そういった単純作業は確実にAIが代用可能であり、教師のすることはAIのちょっとしたミスを管理、確認するだけである。
会議もSkypeで十分になりうるなど、技術がブラック化を解決させてくれると思っているのだが、どうなのだろう。
また、ブラック部活問題は正直どうしようもない問題なので、今最適な解決法が「解雇」なのだ。(この「解雇」も、今の日本ではしづらく、解雇させた学校というレッテルがどうしてもはられてしまうのがなんとも)
この問題は、教師と生徒、そして保護者の意識、考え方の問題なので、そこをこねくり回すしかない。
第2の解決法として、今の学生にブラック部活を反対化させるような教育方針をたてるという方法もある。時間はかかるが、1番平和的な解決法だろう。
詰め込み型授業に関していえば、「その授業は戦前には役に立ったよね?」の一言だ。
実際にそれを解決させる政治的な動きとして入試改革を企てて実行してる訳だが、いずれ根本から変えるという動きがないと日本は教育面でも他の先進国に劣ってしまう。
「入試改革」とは言いながら、5教科を学ぶこと、そしてそれが入試の中心を取ることは変わっていない。一般的な国公立大学でも、例えば教育学部なら「心理学」、情報系なら「プログラミング」など、5教科に縛られない教育をやる。その方が国公立大学の強みを活かせるのではなかろうか。
ただ、日本の教育が全て悪いなどと思ってはいない。日本人の識字率を見れば、教養の根となる知識を蓄えさせるのはとてもうまいように見える。
その識字率の高さ、根っこの構築のうまさをどこでどう使うか、これをもっと考えれば良いのである。
それが「アクティブラーニング」だったり「クリエイティビティ」の構築に繋がっていく話になっていくのだが、キリがないのでこの辺で。
勉強は環境を整えるところから!モチベーション維持の基本
どうも!大学が始まりました、しらすです!
今回は、勉強シリーズ第2弾!勉強するために必要なことの紹介です。
親や先生に「とにかく勉強しろ!」なんて言われることありませんでした?
実は僕はそういう経験、ありがたいことにあまりないんです。(親に感謝)
その分(?)自分のモチベーションに対して繊細で、やる気ない時は勉強なんてしたことないと言っても過言ではないです。
勉強は継続です!だからこそモチベーション維持や、勉強しやすい環境を作ることは、勉強より大事かもしれません。
そこで、今回は僕が実際にやっていた勉強の作り方(?)を、「効率的」という視点から教えます。
その1:なんでもいい!受験する動機を作れ!
これがないと僕は勉強できませんでした。
僕は、やりたいことがある、家から近い国公立、吹奏楽ができる、これを満たす大学が北大しかありませんでした。(今となっては道外も面白そうだなぁって思ってます)
この動機は、どうでもいいことで十分!
例えば、好きな女の子がその大学にいる、とか、その大学に入ったら好きな物買ってもらえる、とか、とりあえず大学入っとけば就職に有利、とか。
自分がやる気の高まることであればなんでもいいです!
人によっては、そういう動機が無くともできる人もいますが、それは少数派だと思っています。
寧ろ、動機がないなら、勉強をやめてもいいと思います。
とっても大事なことなので、ぜひ動機を考えてみてください。
その2:勉強しやすい環境を知れ!
動機もあるし、これで準備万全!
でも、動機を持っててもなんかやる気出ないことあると思います。
そこで注意!勉強する環境は整っていますか?
例えば、僕は家だと集中力がわかなくて、勉強の八割以上は学校やファミレスでやっていました。
特に、人のざわつきが少しあるところの方が集中できるんです。(学校なら図書館より放課後の教室、校外ならミスドなど)
僕は、音楽が好きで、イヤホンで音楽を聴いてると手が止まっちゃうんです...なので音楽は聴かない派でした。
これは単純に僕の例で、読者に当てはまるとは限りません!
どんな環境がいいかは、色々試行錯誤をしないとわかりません。
なので、まずは誰かが「これいいっすよ!」って言っている勉強法を試してみましょう!
善は急げ、です!
その3:やる気がある時だけやる!
僕はこれを特に徹底してました。
やる気がない時に仕方なしに勉強しても、集中力が下がっているため、覚えられることも少なく、数学や物理などの複雑な思考など特に難しくなるでしょう。
僕は、眠いなーって感じたら昼でも夜でも目を瞑っていました。昼なら仮眠を10分程度、夜なら下手すれば朝まで寝る、など。
少ない時間で効率よく勉強できてる人は、この集中力キープを上手くやっているのではないかと思います。
少ない時間で賢くなりたいなら、自分を知ること!とっても大事です。
ただ、最初にこれを意識しすぎると勉強しなくなってしまうので、例えば実際に30分(10分でも良い)勉強した時にどう感じるか、を感じ取れば良いです。
正直、勉強が始められない子はあまり勉強向きではないと思ってます。(心理的な面もあると思いますが...)
とにかく、無理してでも勉強、これはあまりオススメしません!
疲れたら休憩をとり、飽きたら気分転換!
もし、それで勉強が続かなくなってしまったら、もう一度自分がなぜ勉強しているか思い出してみましょう!
最後に
特に、学校に居続けると、勉強ってやんなきゃいけないものっていう先入観を持ってしまいますが、勉強はオプションです。自分が「しなきゃけなくなった」と感じるときにすればいいと思います。
その勉強の内容も、国数英理社じゃなくていいです。例えば、音楽であったりゲームであったりデザインであったり料理であったり...
勉強をしたほうが良いと思う、学生全員にあてはまる理由をいうなれば、自分で計画(戦略)をたてて自分で手を動かしてメタ認知して合格まで走り抜ける、という体験ができるためです。この体験は、これからどういう生き方をしようと役に立つことだと思ってます。
この記事が、読者のためになることを祈って、終わりにします。
楽に生きるための「世の中全員変態」論
どうも!しらすです!
今回は、ちょっと変わった記事を書こうと思います。
題して、
「世の中全員変態」論!
僕が普段の生活のモットーにしていることです。(特に初めて会う人に効果的な自論です)
何を言っているかわからないと思うので、紹介します!
「世の中全員変態」とは?
まず、「全員変態?何言ってんだこいつ」
ってなると思います。まずそこから解説しましょう。
最初に「変態とは」からです。
辞書で調べると、以下のような説明が出てきます。
1 形や状態を変えること。また、その形や状態。
2 普通の状態と違うこと。異常な、または病的な状態。
「お品は身体に―を来したことを」〈長塚・土〉
3 《「変態性欲」の略》性的倒錯があって、性行動が普通とは変わっている状態。また、そのような傾向をもつ人。
4 動物で、幼生から成体になる過程で形態を変えること。おたまじゃくしがカエルに、蛹 (さなぎ) がチョウになるなど。
5 植物で、根・茎・葉などが本来の形から変化し、著しく異なる形態をとること。葉がとげとなるなど。
6 同じ化学組成で物理的性質の異なる物質の状態。温度変化などによって生じることが多い。単体の場合には同素体という。転位。
僕が「変態」と言って指している意味は、1と2の中間にあります。
言葉にすると
「関わる分には難はないが、少し狂気じみた人」
ですかね...
で、僕は「世の中全員変態」論を唱えているわけです。
何故「世の中全員」なのか
では、もう少し掘り下げていきましょう。
他人という存在は、自分とは違う素質を持っています。
その素質は、時に自分の価値観と合わない場合もありますよね?(人間なので...)
その時に、「この人は単に変態なだけだ」というふうに思ってしまえば割り切りがつくし、相手の話を聞ける心の余裕が生まれるのです。
でもこれが特定の人にのみやっていたら、結局変わらないんです。
じゃあ、全員変態だったら?
そう、これで解決しちゃうじゃん!
コミュニケーションをとる仲間が皆変態だと仮定すれば、普通なら奇妙だと思われる行為、頭おかしいと見なされる言動も変態だから許容できちゃう。
こういうロジックなのです。
何故こんな自論が生まれたのか
最後に、僕がこの自論を提唱するきっかけをお話しましょう。
僕は、今でも人見知りです。それが特に中学生の時がピークでした。
自分でも気づいていたので、どうやって克服するかを何気なく考え続けてました。
色々考えている時に、高校の吹奏楽部の顧問に「お前は変わったやつだなー」と言われたんです。
正直、僕はそんなことないと思ってました。変わり者って言われたことを認めたくありませんでした。
でも、待てよ、もしかしたら周りの人も同じように思ってるかも?ふとそう思いました。
そうであれば、もう否定の余地はありません。だって否定する度に自分のストレスが溜まる一方だし...
ということで、まずは自分が変態であることを認めることから始まりました。
また、人間関係が上手く行ってなかったのも高校生の頃でした。
結局どうにもならずに高校は卒業してしまう。
吹奏楽愛は忘れてなかったので、北大に入って吹奏楽団の新歓に突撃します。
驚きました。個性しかないじゃん!
大学に入ってからは仲間を増やしたいと思っていたこともあり、この個性をどうにか認めようとしました。(ストレスなく)
その時に、とある本に「誰もお前に興味はない」みたいなことが書いてあって、それを見た僕は、
みんな自分にしか興味が無い変態たちだ!
って思っちゃったわけです(半分悪口ですね...)
僕は、イライラするとカッとなってぶつかるタイプということもあり、そこの緩和剤として「世の中全員変態」論を唱え始めた、ってわけです。(締まってるかな...)
実際に、初めて会う人に対してはこの自論を意識すれば、どんな相手の人間性も認められちゃうようになったり、認められなくとも、無駄に怒らず、呆れられるようになったんです!
全員自分に興味はない。だってみんな変態なんだもの。
周りの目を気にしなくなるためのひとつの考え方として捉えてくれれば幸いです。
数学嫌いは「確率」で差をつけろ!確率問題のあれこれ Part1
どうも!しらすです!
今回は、数学記事!
題名にあるとおり、確率問題について書きたいと思います!
僕が受験生の頃は、確率の問題を得点源としていました。
確率という分野は、関数とか微分積分とかよりもイメージしやすく、取っ組みやすい分野ではあると思います。
ただ、現状はそう甘くなく、「実際に演習してみるとなんだこれ状態になっちゃう...」なんてことも有り得ます。
そこで、確率問題の基礎的な解き方を何回かに分けて紹介します!
このシリーズを押さえておけば、8割以上の確率の問題が解けるようになると思っています!
何故、確率は取りやすいのか
まず、確率がとりやすいと言う理由をお教えしましょう。
1.覚える公式が少なく、比較的直観的である!
ほかの分野に比べて覚えるべき公式が少ないのが魅力です!
三角比や二次関数、微積やベクトルは直観的に理解しづらいところがあるのですが、確率はこれからの説明を見ればわかりますが、少し数学っぽくない節があり、とっつきやすいんです!
問題のパターンや解き方もそこまで多くないし、問題文をしっかり読めば解ける、というのも利点の一つです。
2.いざとなれば、数えれば解ける!
問題をパッと見て解き方が思い浮かばなければ、最終手段として「全部数えれば解ける」という利点があります。
なので、解き方も比較的容易で、最終手段もある、といういいことづくめなわけです。
確率の超基本を押さえよう!
ということでまずは、確率の超基本(知ってることも多いかと思いますが)を定義から押さえましょう!
確率の基本用語
・事象→数学の試行のなかで起こる事柄。(サイコロで言うと、1から6までのどれかが出るという事象が起こる)
・場合の数→ある事象が起こるパターンの数。
・n!=n*(n-1)*(n-2)*...3*2*1 (!は「階乗」と読み、例えば5!=5*4*3*2*1=120となる)
・順列→順番のあるものの並び。例えば、123と321は、別のもの、つまり2つの事象として扱う。
・組み合わせ→順番のないものの並び。例えば123と321は同じもの、つまり1つの事象として扱う。
確率の基本的な考え方
続いて、確率の基本を2つお話ししますが、だいたいこれで解けます!
まず、(確率)=(求める事象が起こる場合の数)/(すべての事象が起こる数)
要するに、
(部分)/(全体)です!
これだけ押さえておけば大丈夫なんです!
では、何故実践ではできなくなっちゃうのでしょう?
それは、数えるのが難しいことが多いからです!
とにかく、(部分)/(全体)だけでも押さえましょう!
2つ目は、二つ以上の事象が起こる確率です。
事象Aが起こる、かつ、事象Bが起こる確率は、「かつ」なので掛け算。
事象Aが起こる、または、事象Bが起こる確率は、「または」なので足し算。
これも重要です!
nPrとnCrについて
次は、その場合の数を数えるのに有効な、nPrとnCrについて話します!
2つの使い分けとその差
まずは、定義から!
・nPr = n! / (n-r)! = n * (n-1) * ... * (r+1) * r
・nCr = n! / r! * (n-r)! = nPr / r!
例えば、5P3 = 5 * 4 * 3 = 60、
5C3 = (5 * 4 * 3) / (3 * 2 * 1) =10、です!
nPrは、n個のものからr個のものをとって順列を数えるときに使います。
nCrは、n個のものからr個のものをとって組み合わせを数えるときに使います。
なぜ、nCrで組み合わせが求まるのか?
nPr が組み合わせを表すのはなんとなくわかると思います。
でも、何故nCrで組み合わせを表せるのでしょうか。
両方解説します!
例えば、1~5の数字が書かれたカードが1枚ずつあって、そこから1枚ずつ、合計3枚引いたカードを並べて3桁の整数を作ることを考えます。(これは、123と321が別と考える、つまり順列です)
下の写真をご覧下さい。
1個目の数字は、1~5の5個の中から選ぶので選択肢は5通りあります。
2個目の数字は、1~5のうち1回目に引いた1枚を除いた4通りの選択肢があります。
同様に3個目の数字は、1~5のうち1回目と2回目に引いた2枚を除いた3通りの選択肢があります。
これを3回目側から見ると、3回目には3通りの選択肢があり、その3通りが2回目に引かれる数の分(4通り)存在し、更にそれが1回目の選択肢分(5通り)存在するので、順列は
3*4*5=5P3
となる訳です。
では、何故5C3で組み合わせが求まるのでしょうか?
定義を遡ると、5C3=5P3 / 3! で求まります。5P3は説明したので、それを3!で割る理由を説明しましょう!
選んだ3つの数字は、組み合わせだと1つとして数えます。
それが5P3個分存在するので、順列の個数分を、3つの数字の順列分、すなわち3P3=3!で割らなきゃいけないのです!
...分からなかったら、覚えちゃってもよいです。
実際の問題に触れてみよう!
確率は(部分)/(全体)であり、順列はnPr、組み合わせはnCr、を意識して、実際の問題を解いてみましょう!
例題 袋の中に白玉3個、赤玉4個がはいっている。ここから玉を5個同時に取り出すとき、(1)白玉2個、赤玉3個出る(2)同じ色の玉が2個出る確率をそれぞれ求めよ。
まずは、(確率)=(部分)/(全体)なので、(全体)を求めましょう!
(全体)は、7個の中から5個を取り出す「組み合わせ」なので、
7C5=21(通り)
(1)(部分)は、白玉を2個取り出し、「かつ」、赤玉を3個取り出す「組み合わせ」なので、
3C2 * 4C3 = 3*4 =12(通り)
よって、求める確率は、
(部分)/(全体)=12 / 21= 4 / 7
(2)同じ玉が2個出るということは、
A:白玉が2個出る
「または」
B:赤玉が2個出る
ことなので、事象Aが起こる確率と、事象Bが起こる確率の和をとればよいです。
Aは、(1)より4 / 7。
Bは、(全体)は同じで、(部分)は「白玉3個、赤玉2個取り出す組み合わせ」なので、
3C3 * 4C2 =1*6 = 6
よって、事象Bが起こる確率は、
(部分)/(全体)=6 / 21= 2 / 7
したがって、求める確率は
(事象Aが起こる確率)+(事象Bが起こる確率)=4/7 + 2/7 = 6/7
となります。
この問題は、簡単に出来る方です。実際はより複雑な問題になってくるので、それは次回取り扱います。
まとめ
よく、「数学は短期間では成果が出づらい教科だ」と言われますし、それは僕もそうだと思います。
しかし、その中で「確率」という分野は、短期間で成果がでやすいと思います。(2週間くらい頑張れば結構な点数UPが期待できます)
今回教えたことで、全ての問題が解けるようになったとは言い切れませんが、実は条件付き確率などの原理は説明できます!(詳細はPart2で!)
今回やったことをまとめましょう。
- 確率は(部分)/(全体)!
- 「かつ」は掛け算、「または」は足し算
- nPrは順列、nCrは組み合わせ
これが確率の超基本です!これさえ押さえとけば、そこそこの入試問題は解けます。
ただ、最初のうちは、これを丁寧に意識して慣れることが重要なので、時間は意識せずに、慣れてから時間を意識した演習をしましょう。
Part2では、原理的には殆ど解ける今の状態を、パターン化して短時間で解ける「引き出し」を増やしましょう!
それまで!
普段考えていること(芸術家編)
北大の大きな通りを通ると、大きな並木が見える。たまに木の写真を撮ることがあるのだが、写真で撮られた木と実際に目に映る木には、そこそこ大きな差がある。
写真で撮ると、例えば雪が降った時の風邪が起こす流動性が静止画として収められるわけなので、雪がその場で静止しているように見える。
これは、写真を撮った時に初めてわかったことなのだが、写真を撮る時は、木の大きさやダイナミクスが大きく見えるのだが、それが写真となると、思ったよりちっぽけに見える瞬間がある。
これが、人の心を揺らがせる感覚であり、人の心が揺らがない写真を撮ったことになる、というわけなのだ。
人間の心はとても複雑で、その煩雑性は言葉の次元を遥かに超えている。
だから、人の心はプログラミングされないし、Deep Learningという近づき方が最適とされるのだ。
僕は、今でもこの「感情と言葉のグラデーション性」に困っている。中学生の頃に受けた音楽の授業で、「ベートーヴェンの交響曲第5番、運命を今まで沢山聞いて学んできた感想を書きましょう」という内容のものがあった。
困った、最適な言葉が見つからない。今の自分の気持ちを表す言葉が見当たらない。
最終的に、浅い言葉(迫力があった、力強かった、など)を横並びにするしか無かった。それがとてももどかしくもあった。
ただ、一般相対性理論がパラレルワールドを認めるように、別の世界線を認めても良いのかもしれない。そう考えるのが適切な時期かもしれない。
そのグラデーション性をそろそろ認めなければならないと共に、共感覚的な別次元の感覚器官の方が相手に伝えられるかもしれない。
そういえば、第六感と呼ばれるものが、磁気的な感覚であると言う科学者がいる。この磁気的な感覚は、よく渡り鳥が方向を間違えずに移動出来ることの説明に使われる感覚だ。
それが人間にもあるというのだから不思議だ。その科学者が言うには、道にすぐ迷う人と、大体の方向感覚があって迷わない人の差がこの磁気的な感覚なのだという。
地球がひとつの大きな磁石であることは言うまでもないが、今でも不思議である。
話を戻すと、最近は、言葉と感情のグラデーション性をできるだけ改善すべく、できる限り言語化しようと思っている。
例えば、2012年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ「さくらのうた」を聴いた時に、単に「美しい」とか「最後が壮大だ」というのではなく、「昼の桜より夜桜を思わせる悲しみが溢れる音楽だ、桜の開花もそうだが、どちらかといえば散り時に焦点を当てているのだろうか」と、できる限り言語化する。それがグラデーションを離散化する近道だし、芸術に対する審美眼を磨くいい機会だと思う。
その例として、その曲はどんな色で、どんな匂いで、どんな形で、どんな触り心地か、を想像するのが良い。「さくらのうた」であれば、「色は紺の背景にピンクとオレンジがグラデーションで混ざり合った色、匂いは無臭に近いが、自然独特の匂いがする、ただ木の匂いではなく花の匂い、形はかなりぼんやりとしているが、急に近い形で中が空洞になっているが、その空洞と図形の分かれがわからない、触り心地は、暖房的でなく、人間的に温かく、触ると直ぐに変形してしまうやわらかさ」など。ここまで詳しく書く必要は無い(単に「黄色」とか「三角形」で構わない)上に正解はない。
とにかく表現してみればいい、それが自分を自分たらしめる行為だから。
芸術家 しらす