楽に生きるための「世の中全員変態」論
どうも!しらすです!
今回は、ちょっと変わった記事を書こうと思います。
題して、
「世の中全員変態」論!
僕が普段の生活のモットーにしていることです。(特に初めて会う人に効果的な自論です)
何を言っているかわからないと思うので、紹介します!
「世の中全員変態」とは?
まず、「全員変態?何言ってんだこいつ」
ってなると思います。まずそこから解説しましょう。
最初に「変態とは」からです。
辞書で調べると、以下のような説明が出てきます。
1 形や状態を変えること。また、その形や状態。
2 普通の状態と違うこと。異常な、または病的な状態。
「お品は身体に―を来したことを」〈長塚・土〉
3 《「変態性欲」の略》性的倒錯があって、性行動が普通とは変わっている状態。また、そのような傾向をもつ人。
4 動物で、幼生から成体になる過程で形態を変えること。おたまじゃくしがカエルに、蛹 (さなぎ) がチョウになるなど。
5 植物で、根・茎・葉などが本来の形から変化し、著しく異なる形態をとること。葉がとげとなるなど。
6 同じ化学組成で物理的性質の異なる物質の状態。温度変化などによって生じることが多い。単体の場合には同素体という。転位。
僕が「変態」と言って指している意味は、1と2の中間にあります。
言葉にすると
「関わる分には難はないが、少し狂気じみた人」
ですかね...
で、僕は「世の中全員変態」論を唱えているわけです。
何故「世の中全員」なのか
では、もう少し掘り下げていきましょう。
他人という存在は、自分とは違う素質を持っています。
その素質は、時に自分の価値観と合わない場合もありますよね?(人間なので...)
その時に、「この人は単に変態なだけだ」というふうに思ってしまえば割り切りがつくし、相手の話を聞ける心の余裕が生まれるのです。
でもこれが特定の人にのみやっていたら、結局変わらないんです。
じゃあ、全員変態だったら?
そう、これで解決しちゃうじゃん!
コミュニケーションをとる仲間が皆変態だと仮定すれば、普通なら奇妙だと思われる行為、頭おかしいと見なされる言動も変態だから許容できちゃう。
こういうロジックなのです。
何故こんな自論が生まれたのか
最後に、僕がこの自論を提唱するきっかけをお話しましょう。
僕は、今でも人見知りです。それが特に中学生の時がピークでした。
自分でも気づいていたので、どうやって克服するかを何気なく考え続けてました。
色々考えている時に、高校の吹奏楽部の顧問に「お前は変わったやつだなー」と言われたんです。
正直、僕はそんなことないと思ってました。変わり者って言われたことを認めたくありませんでした。
でも、待てよ、もしかしたら周りの人も同じように思ってるかも?ふとそう思いました。
そうであれば、もう否定の余地はありません。だって否定する度に自分のストレスが溜まる一方だし...
ということで、まずは自分が変態であることを認めることから始まりました。
また、人間関係が上手く行ってなかったのも高校生の頃でした。
結局どうにもならずに高校は卒業してしまう。
吹奏楽愛は忘れてなかったので、北大に入って吹奏楽団の新歓に突撃します。
驚きました。個性しかないじゃん!
大学に入ってからは仲間を増やしたいと思っていたこともあり、この個性をどうにか認めようとしました。(ストレスなく)
その時に、とある本に「誰もお前に興味はない」みたいなことが書いてあって、それを見た僕は、
みんな自分にしか興味が無い変態たちだ!
って思っちゃったわけです(半分悪口ですね...)
僕は、イライラするとカッとなってぶつかるタイプということもあり、そこの緩和剤として「世の中全員変態」論を唱え始めた、ってわけです。(締まってるかな...)
実際に、初めて会う人に対してはこの自論を意識すれば、どんな相手の人間性も認められちゃうようになったり、認められなくとも、無駄に怒らず、呆れられるようになったんです!
全員自分に興味はない。だってみんな変態なんだもの。
周りの目を気にしなくなるためのひとつの考え方として捉えてくれれば幸いです。