ゲーム音楽は何故いい音楽に聞こえるのか

    僕は小さい頃からゲームに触れてきた。

    兄がいて、母もちょっとゲームをやっていたので、ゲームには少し恵まれた環境だった。

    物心がついた時にあったゲームといえば、ゲームボーイアドバイス星のカービィ夢の泉デラックス」PSの「パズルボブル2」「パックマンなんちゃらvol.4」「チョコボの不思議なダンジョン2」「ドラクエVII」など。

    自分でもやってたし、やってるところを見ていた側でもあった中で、僕はゲームのBGMが「いい曲だな」と思う感性が既にあったらしい。

    中でも、「星のカービィ夢の泉デラックス」「チョコボの不思議なダンジョン2」は特にお気に入りだったし、今でも大好きだ。

    PSあたりからリアリティが増してきたが、それまでの音楽は、いわゆる「電子音」とはっきりわかる(というより、現実の楽器には例えられない)ものが多かった。

    この「電子音」はかなり特異な音色で、それがファミコンらしさ、ゲームらしさを特徴づけてたと言っても過言ではない。

    本題に入ろう。ゲーム音楽の良さとはなにか。

    1つ目は、先程言った「音色」だ。とても単調でいかにも「電子音」なのだが、それ故にオーケストラでは奏でられない独特な世界観を生み出している。

    その特異性は、音楽としては覚えていなくとも、音として頭のどこかに残ってはいないだろうか?

    2つ目は、過去の作品のアレンジが、解像度を高くして行われていることである。

    シリーズとして長く残っている作品(「スーパーマリオ」シリーズや「星のカービィ」シリーズなど)は、過去に使われた曲がアレンジされて再登場することがよくある。

    僕はこれもゲーム音楽の魅力のひとつだと思っている。速いテンポの曲がアレンジされてゆったりになると存外感動的になったり、スーファミ時代の曲をwii位の解像度で編曲されると、それまでになかったオーケストレーションで聞くことが出来て壮大さを感じざるを得ない。

    この「電子音」と「楽器の音」を交互に行き来するのが結構刺激的で面白い。

    個人的には、ゲームだと認識するのに必要なのは電子音だし、ゲームとリアルの解像度を近くするために仮想的な実音があるとも思っている。

    ただ、やっぱり僕は、効果音のせいで処理しきれないくて一部の音が無くなる時代のゲームに愛着を感じる。リアリティが高すぎると、愛着ではなく壮大さを感じて終わりになる。そういう面では現代に即したゲーム作りをしているのかもしれない。

    この考え方になったきっかけとして「シンフォニック・ゲーマーズ」の影響がある。ゲーム音楽だけでコンサートをやる、という趣旨で行われるコンサートの主催だ。

    UNDERTALEというゲームのメドレーをやっていた時は、まさしく先程言った「電子音」と「楽器の音」の交差を直に感じられた瞬間だった。

    それにしてもUNDERTALEの音楽は緊張と緩和に対する意識がかなり鋭い音楽だと感じる。それをファミコンチックに表現するのもまた一興。

    小さな頃から築いた「BGM物語」は、終演することはなさそうだ。