「エモい」の言語化に挑戦する回

    数年前から「ヤバい」の上位互換(?)として現れた「エモい」という言葉。「ヤバい」同様かなり多義な言葉のまとまりのように感じる。困ったら言っとけば良い言葉として現れたこの言葉を、少し掘り下げて解釈しよう、そういう記事である。

「ヤバい」「エモい」とは何なのか

    そもそもこれらがどういう経緯でできた言葉なのか、それをまずまとめておく。

    まずは「ヤバい」。

語源は諸説あるが、江戸時代の矢場(射的場)では隠れて売春が行われていたため、そこに下手に居合わせ、役人から目をつけられたら危ないという意味で、「ヤバい」と言われるようになったという説が有力。元々は盗っ人たちの隠語だったため、今でもテレビや新聞では使用を避けられる傾向がある。(江戸時代から「マジ・ヤバい」はふつうに使われていた(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社より)

    2~3の記事を読んだが「ヤバい」に関しては江戸時代には使われていたという説が濃厚らしい。元々は否定的な意味で用いられたが、1980年後半位から肯定的な意味で使われるようになった。

    「ヤバい」に関して総じて言えるのは、根幹は驚きであるということ。それが自分にとって良くないベクトルで働くことが原義で、今で言う「神展開」のような思わぬ喜び(喜びに似た感情の動き)方向に働くのが最近使われるようになった意味である、ということだ。今回は「ヤバい」についてはこれ以上は触れないことにする。

     「エモい」については英語の「emotional」から来ているのは既知だが、一応調べてみた。

エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」などに用いられる。(引用:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A2%E3%81%84)

    まぁ、思った通りだ。

「感情が昂る」瞬間の考察

    さて、「エモい」という感情が「感情が動かされた状態」や「感情が高まっ」た状態を指すことはわかった。言語化、という視点でいえば既に要件は満たしている。じゃあ人間の「感情が動かされ」るのはどのような時なのか、ということだ。

    実体験からの方が推測しやすそうなので、実体験を元に考えてみる。感情が高まった時、多くの人は涙が出たり鳥肌が立ったりする。僕はP.スパーク作曲「宇宙の音楽」の「孤独の惑星」という楽章でいつも鳥肌がたつ。宇宙の中にポツンと生まれた地球を「孤独」視した悲しみのある楽章だ。ただ単に宇宙を表現するだけなら、宇宙の雄大さや星々が飛び交う様子などを表現するだけでも十分なものだ。この楽章は泣かせに来ている。

    少しそれたので本題へ戻ると、僕はなぜ「孤独の惑星」で鳥肌がたち、時に涙してしまうのか。僕は人が泣いているのを見ると思わず悲しくなってしまう。ロジカルな目線でいえば、人の涙に影響を受けて、悲しみの感情が高まっていると言えるが、この原因は人が感じた悲しみを自分自身を共有対象にしているからなのではないか、と思う。

    例えば、公共の場で子供がないていると「あの子は駄々っ子だなぁ」とか「ちょっとうるさいなあ」や「なんで泣いてるんだろう」などのことを感じるだろう。最初の二者は、殆ど感情の関与するところはない。だから「あの子は駄々っ子だなぁ」と思いながら悲しくなるなんてことは一般的にありえない。では、三者目はどうだろうか。「なんで泣いてるんだろう」という思いは、少しでもそう思った瞬間に想像力が働く。その過程で色々な事象を思い浮かべるだろう。「なんで泣いてるんだろう」に関してはどんな想像ができるだろうか。母親にこっぴどく叱られた、思いっきり転んで痛みを感じた、などか。それらを想像した時に、「悲しい」と思う人もいるし思わない人もいる。

    それが「自身と共有する」ことだと思う。母親に叱られた時の心的な痛みや思いっきり転んだ時の物理的な痛みを繊細に汲み取ったりして、その結果「悲しい」という感情が体に現れてくる。そう言えそうだ。「孤独の惑星」に関しても、僕にはあのソプラノサックスのソロや裏のバスクラファゴットの掛け合い、それぞれが嘆き悲しんでいるように感じることがある。その痛みを自分の中で共有してそれが「悲しい」という感情に繋がっている。

    もう少し深堀する。感情が高まって「鳥肌が立つ」時と「涙が出る」時は真逆のことが起きていると捉えることも出来る。「恐怖」などの緊張が得られる感情が込み上げてくる時には鳥肌がたち、逆にその緊張から何かしらの形で開放された、緊張が急激に緩まった時には涙が出る。どちらも「エモい」であるし、どちらも感情の昂りの結果でしかないが、緊張の方向によって体の反応が変わってくるのは結構面白い。

総括

    最後にまとめる。「エモい」とは、何かしらの(心的、物理的)痛みを自信が共有したり、緊張弛緩の激しさなどによって体が自然と反応を起こすような感情(形容)の総称。これくらいがちょうどいいかもしれない。またその感情は独特で、コンピュータなどの無機質からではなく、自信が有機的な、生命を感じる言葉や行動、景色や表情から影響を受けることが多々ある(大抵の感情はそうだが)。それはコンピュータのロジカルな部分が出ていると同時に、有機物のエモーショナルな部分も出ていると思われる。そういう視点では、「エモい」を「ロジカルでない想像部分の総称」ということも出来そうだ。

    まとめると言っておいてまとまりがないのでここら辺で。言語化はもっと色々やっていきたい。