家の掃除で気づいた昔と今の違い

    2019年6月頃、丁度春の授業の期末試験が終わったあとぐらいのことだった。なんの衝動があってか、家の掃除や整理整頓にどハマりしていた期間があった。恐らく兄に物が多すぎると言われたのがきっかけなんだろうが、そこまでハマるか、と今でも疑問視するレベルだ。

    面倒だ、という理由だけだが小学生時代の朝顔の観察日記とか中学生の頃の修学旅行のしおりとか、とかくほとんど見返すことは無いだろうと思うものや、数年使っていないものは差別なく捨てた。おかげで今はある程度物が少なくなり、今まで本棚足りねえな、と思っていたが断捨離することで本棚にも少し余裕が出来た。

    思えば今まではこのことが出来ていなかったということにもなる。思い出してみると、少年時代からものを捨てるのが苦手で、なんかあったらとりあえず取っておく、という精神で生きてきた。貧乏性、という言葉が割と的確かもしれない。

    しかし、文明は発展し、技術が確立した。スマホというものが生まれ、アプリの有用性が顕著にあらわれ、その中でも「メルカリ」というアプリが爆誕した。それによりものの価値が下がっても売り手と買い手が存在して、欲しいものを中古で簡単に、安く得られるようになった。それに気づいたのが自分の変化のきっかけなのかもしれない。いらなくなったらそれを欲している人に売れば良いし、欲しくなったら価値が下がってもいいものならメルカリなどで買えば良い。そう考えたら家にたくさんものがある、そういう空間が馬鹿らしくなった。

    最適化、といったら少し違うのかもしれないが、家のものを整理する、捨てるべきものを捨てる、そういう心の持ちようは自分にとって結構重要なものかもしれない。必要なものとそう出ないものの棲み分けを上手くする能力は、部屋だけでなく思考など全ての「整理」に於いて重要なのだ。

    話は少し変わるが、小学生の頃の思い出や中学生の頃の備忘録を捨てるといった行為には賛否両論あるだろう。もちろん部屋の整理をしている時にそういった物品を見つけて「こんなことあったなー」とか「こんなことしたっけ」なんて思い出に耽っていたこともある。それが僕にとってはどうしても無駄に感じてしまうのだ。学ぶなら経験や歴史からなのだが、過去に大したことを自分は残していないし、大した経験もないまま今に至っている。だったら今をしっかり生きて(ソクラテス風に言うと「よく生きて」)、人生の糧になる経験をできるだけしたいな、そう思うばかりなのである。それには不必要なものを捨ててできるだけ目移りしないような環境を自分から作っていくことも重要だと判断している。メルカリはそれをするだけでもお小遣い程度のお金が手元に来るから良い。

    断捨離は人によってできるできないが大きく割れるが、僕も昔はできない側の人間だった。少々めんどくさくはあるが、あらゆる「整理」に繋がるのでぜひともやって欲しい。ちなみに僕はまだ整理は終わっていないので、また今夜整理をしようかな。