決め事で人生の道を狭めながら広げるという道へ

    必死になって北大現役合格を真摯に目指していた高校生の頃を思い出してみると、あの時なぜ北大に行きたかったか、を聞かれると家から通えて好きな分野が学べるからであった。逆に言うとそれ以外の要素はほぼなかった。当時から数学を活かした何かをしてみたくて、入学当初は理学部数学科しかないのかな、と思っていた。ところが大学一年生の6月頃、情報エレクトロニクス学科の存在に気づいてそこそこ勉強しなきゃ入れない学科だったのでそこそこ勉強して今そこで割と楽しくやらせてもらっている。

    受験生の頃からかなり効率を求めてきたせいもあって参考書をどれにするか、とか大量にある勉強法の中からどれを採用すれば最も効率的か、というのに重きを置いていた。当然当時は北大に合格することしか考えておらず、お先真っ暗だった。

    今となっては北大に合格して損だったようなことはひとつもない。素晴らしい仲間にも出会えて、ある程度やりたいことをやらせてもらっている。もし仮にあるとすればそれは他の大学でもそうなのだろう。

    こうやって今までの行動を振り返ってみると、これしたいとかあれしたいとか、したいことに重きを置いていた気がするし、今もそういう考え癖がある。ただ、それをし続けるとキャパオーバーにいずれなるのが自明である。そこで、僕は最近はやらないことの方を決めてそれを全力でやらないようにしている。

    やらないことを決めることでやるべきことに費やせる時間が増える。授業を切るという行為も場合によっては当てはまるだろう。切った時間を睡眠に当てるのか勉強に当てるのか趣味に当てるのか。そこを一つ一つ決めていかなくてはならない。

    やらないことを決めることは人生の指針を決めることにも繋がる。実はやることを決めるよりやらないことを決める方がしやすいしその効果も高い。やらないことを決める、それによりやりたいこと、やるべきことに時間が多く費やせる、それによりやりたいことへの理解が深まったり新たなやりたいことが見つかるきっかけも持てるようになる。

    今回のタイトルはそういう意味でつけた。やらないことを決めることで道の選択肢をある程度狭める。それをすることで返って新しい道ができ始めてくる。それを繰り返し行えば自然と人生というものが確立するような気がする。

    僕は今かなりやりたいことがある。大学の研究もしたいし(まだ研究室は配属になってないが)、ユーフォをもっと極めたいし、スマブラの大会で成績のこせるくらいには強くなりたいし、ゲーム実況や配信もしてみたいし作曲編曲もしたい。どれもこれもやらなきゃ始まらない。なのでまずはこれら以外のことで何をやらないかを明確に持とうと思っている。僕は基本漫画を読まないし、誘われなかったら映画もテレビも見ない。映画は今後見る可能性が高いが、テレビはほとんど見ないというふうに決めてしまおう。漫画も内容が気になったらあらすじだけでも調べておこう。

    という感じである。本当はもっとゼネラリスト的な生き方をしたいと思っているが、当面はスペシャリスト的に自分を成長させていって、あとからゼネラルに学んでいけば良いかな、そう思っている。しなければならないことで頭がパニックになった時にこのことを思い出してみるといいかもしれない。何をやらないか。最近気づいた(というか気付かされた)重要な生き方かもしれない。