記憶力の無駄遣いとどうしようもない時間の浪費

    物事を記憶する能力は、何をするにおいても重要な役割を果たす。何より、物事を効率よくやる時には欠かせないアビリティのひとつだ。

    仕事でも勉強でも、その生産性や効率性に影響を十分に与えるこの「記憶力」。

    タイトルにある「無駄遣い」とはなんなのだろうか。記憶力が無駄になるなんてことがあるのか?

    実体験を元に説明しよう。僕は中学生の頃に星とか宇宙とかに興味があった。(今もある)それでネットで色々調べていた時に、ニコニコ動画に宇宙にあるものの大きさを比較したり、何かしらにかかる時間(例えば、日本でM3.0以上の地震が起こる平均時間や、エントロピーが最大になるまでの時間など)の比較の動画があって、それをよく見ていた。

    大きさの動画を見ていた時に、僕はその大きさを自分なりに想像してぎょっとした。自分の、地球のちっぽけさを知ったような気分で恐ろしかった。

    その動画を3回くらい見た頃には、僕はホラーゲームやホラー映画を見た時のように強く心の中に刻まれ、夜眠れなくなった。今ではかなりくだらないのだが、当時はそろそろ隕石が降ってきたり太陽が急に膨張を始めて地球滅びるのかも...とか思っていた。

    覚えてしまったものを忘れられなくて困った例がもうひとつある。自分が当時嫌いだったり嫌だったりしたことや人の顔を忘れられないことだ。

    人は大概忘れるのだが、出来事は昔は全く忘れられなかった。意味の無い罪悪感と離れない嫌悪感を抱えながら生きるのは割と辛い。

    僕は、それを考える暇がないほど用事を入れたり別なことに没頭するなりしてそういうことは今はあまり無くなっている。

    こんな記事を書いたのにはきっかけがある。「さんまの東大方程式」という番組があるのはご存知だろうか。その番組の中で、東大生の悩みとしてこのような事(忘れたいことを忘れられない)を取り上げていたのをふと思い出したのだ。

    こういう思い出に耽けるような記事もたまにはいいだろうということで書いたというわけだ。

    読者には、そんな経験あるだろうか?

 

P.S 僕は暗記が苦手な方で、それでもこういうことが起きるので、人間の脳の単純さ、それと同時に煩雑さが伺えれば幸いである。